【毒親回顧録】祖母の存在が唯一の救い
祖母との同居
私は実家では、母方の祖母と同居していました。母は自分の親であることをいいことに、育児を祖母に丸投げしていました。でも私にとって、それはそれで良かったのかもしれません。
祖母は優しい人でした。祖母がいなかったら生活できていなかったと思います。
実家は二世帯住宅のような造りになっていたのですが、祖母の居住スペースに祖母といると安心できました。両親ともに毒親であった私にとっては、祖母の存在だけが家庭内で唯一の救いでした。
祖母からの謝罪
一緒に買い物に行ったり一緒にお風呂に入ったり、親にしてもらえなかったことを祖母には親代わりになってたくさんしてもらっていました。祖母と一緒に寝た時の布団の温もりを、今でも思い出すことがあります。
祖母は時々、「お母さん怖い?あんなお母さんにしちゃってごめんね・・・。」と幼い私に謝ってきました。そんな風に祖母に謝罪させる母親を憎く感じました。
もちろん、母親を育てた人だからといって祖母を恨んだことは一度もありません。ただ、なぜ祖母の娘があんな人なのかはいまだに疑問です。
母から祖母への攻撃
母親は、祖母のことも汚い言葉でののしりました。「早く〇ねばいいのに」「汚い」「じゃま」私も言われた言葉ですが、祖母がこのような言葉を投げつけられているのも、とても辛く感じていました。
私の父親が祖母と話をしているところを見たことはありませんでした。同居していても完全に他人でした。
祖母が亡くなった時は、何日も悲しみから立ち直ることができませんでした。お葬式の時にも祖母に憎まれ口を叩く母。私は泣きながら、母のお葬式では涙が出るのだろうか、そんなことを考えていました。