子育てcafe

妊娠、出産から育児に関することまで、ママたちに役立つ情報を発信していきます。悩みや不安を抱えるママたちが、ホッと一息つけるcafeのような場所になればと思います。

【毒親回顧録】酒癖が悪かった父

お酒を飲むといつも以上に酷くなる父

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私の父は酒癖が非常に悪い人でした。会社の飲み会後に、職場の人に家まで送り届けられることもしばしばでした。

 

お酒に酔うと決まって大声で暴言を吐き、私や母に暴力を振るいます。素面の時でも暴言・暴力は日常的にありましたが、お酒が入るといつも以上に酷くなります。私は幼い頃から父のそのお酒に酔って家族にあたり散らす姿がたまらなく嫌でした。

 

今でもお酒に酔っている人を見ると、フラッシュバックのように記憶が思い出され辛く嫌な気持ちになります。

 

タバコの量も多かった父

父はお酒だけでなくタバコも好きで、家でもずっと吸っていました。慣れてしまっていたところもありましたが、実家はかなりヤニ臭かったと思います。

 

タバコの煙を吸って咳が止まらなくなっている私を見ても、当然父は吸うのを止めませんでした。

 

そんな父の姿が脳裏に焼き付いており、私はお酒やタバコの量が多い人を生理的に受け付けなくなってしまいました。嗜む程度なら平気なのですが、記憶をなくすくらいお酒を飲んだり暴力的になったりする人、中毒のように周りを気にせずタバコを吸い続ける人は、父を思い出し関りたくないと思ってしまうのです。

 

【毒親回顧録】3人での生活のスタート

里帰り終了

里帰り出産を終え、自宅に戻る日が来ました。私は嬉しくて嬉しくて解放感でいっぱいでした。

 

母には「やっと静かな生活が送れる。さっさと帰って。」などと言われましたが、そんなこともうどうでもよくなるくらい、喜びに満ち溢れていました。

 

幸せな生活

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自宅での3人での新生活はとても幸せでした。育児と家事の両立も、実家での生活を考えれば何も苦ではありません。

 

自宅に戻ってから数日後に、夫と赤ちゃんの3人で川の字になってお昼寝していた時に、ふと涙が溢れてきました。急に「あー私幸せだなー。」としみじみと思えてきたのです。当時は都内の古いアパートでの生活でしたが、贅沢な暮らしができなくてもこんなに愛おしい人たちと家族になれて「普通」の生活を送れている、それだけで最高に幸せでてた。

 

あれから10年以上の時が流れました。育児は大変で、毎日のようにイライラしていた時期もありましたし育児から解放されたいなんてことも思うこともありました。ただ、実家での18年間や里帰り出産のときのことを考えると、全然辛くないと思えるのです。

 

私は今でも両親に対する怒りや憎しみから解放されていません。なぜ私を産んだの?なぜ愛情を注いでくれないの?と両親に対する思いに苦しみ、私なんか産まれてこなければよかったと思うことも何度もありました。しかし、夫や娘に出会えたことには感謝しています。「家族」という言葉すら嫌いだった私が、今では「家族」がいちばんの宝物になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【毒親回顧録】許せなかった母の行動

身も心もボロボロに

 前回からの続きです。

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里帰り出産が辛くて仕方がなかった私。夫にメールで弱音を吐くこともたくさんありました。「こんな家にいたらもうダメになる。帰りたい。」と何度もメールを送りました。夫は「何もできなくてごめんね。一ヶ月検診が終わったら迎えに行くから。」と言ってくれましたが、私は毎日暗闇の中にいるような気持ちでした。

 

ストレスが溜まり過ぎたのか、数日間謎の湿疹も身体中に出てしまいました。育児はそこまで辛くはありませんでしたが、とにかく両親のことで身も心もボロボロになっていました。

ミルク事件

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当然両親が赤ちゃんを見てくれることなんてないので、シャワーも赤ちゃんが寝ている時を見計らってさっと浴びるようにしていました。事件は私がそのシャワーを浴びている時に起こりました。なんと母は、その一瞬のすきを狙って私が念のために買っておいたミルクを子供にあげようとしていたのです。私が戻ってきたときには、哺乳瓶を赤ちゃんの口にくわえさせているところでした。

 

私はカッと頭に血が上りました。「やめてよ!」と言うと、母は「あんたの母乳がまずいから子供が泣いてばっかで寝ないんじゃないの!?ミルクにすれば少しは静かに寝るでしょ!?うるさくされてこっちも迷惑してんの!」とまくしたててきました。

 

そして私の静止を振り切って無理やり赤ちゃんにミルクを飲ませました。しかし、赤ちゃんはすぐにゴホゴホッとミルクを吐き出してしまいました。母は、泣いてばかりの赤ちゃんにイラ立ち、ミルクを飲ませることを思いつき計画的に動いたようです。一応ミルクは冷まされていたのが不幸中の幸いでした。

 

「早く帰りたい」そればかり考えていましたが、このことがあってから、私は母親なんだからしっかりしなきゃ、この子は私が守らなきゃと気持ちを奮い立たせて毎日を過ごすようになりました。

 

そして、一ヶ月を乗り越え一ヶ月検診も無事に終えることができました。待ちに待った自宅に戻る日がやってきたのです。

 

【毒親回顧録】出産後の実家での生活

また地獄の一ヶ月の始まり

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出産を無事に終えた私。退院前に「なるべく早く自宅に戻りたい。一ヶ月検診を自宅の近くの病院で受けたい。」ということを助産師さんに言ってみたところ、「一ヶ月検診はここで受けてもらわないと・・・。せっかく里帰りしてるんだから一ヶ月は実家でゆっくりした方がいいですよ。」と言われます。一ヶ月検診は予約できる最短の日を選択し、検診が終わるまでは何とか実家での生活を耐え抜こうと決意しました。

 

ただ、実家での子育ては正直とても辛かった・・・。退院から数日一緒にいてくれた夫が帰ってしまうと、心の拠り所が一気になくなり孤独感にも襲われました。

 

両親の言動

昼夜関係なく泣く赤ちゃんに両親はイライラするようになり、「早く泣き止ませろ!」「あー眠れない!」「あんたがダメ人間だから子供が泣き止まないんだよ!」「あんたみたいなのに育てられて子供もかわいそうだね。」と耳をふさぎたくなるような言葉を毎日浴びせられました。

 

赤ちゃんが寝ているベビー布団を父が「邪魔なんだよ!」と蹴飛ばしたこともありました。

 

義両親や夫の姉家族が実家に来てくれた時には、また両親の捏造話が始まりました。私が家のことも子供のことも何もせず両親たちが迷惑を被っているといったような話をしていました。義母たちは、「産後はゆっくりさせてあげて下さい・・・。そのための里帰りですから・・・・。」などと言ってくれていましたが、両親は聞く耳を持ちません。そして、普段は全くしないのに、いつもしているといった感じで母が赤ちゃんを抱っこしあやし始めたのです。私は我が子を母に抱っこされたことにとてつもない嫌悪感を感じました。虫唾が走るという感覚でしょうか。とにかく嫌で嫌で、「母乳あげるから」と赤ちゃんを取り上げ部屋を出ました。

 

 

【毒親回顧録】赤ちゃんお披露目

赤ちゃんとの生活

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無事に出産を終え、その日のうちに母子同室で赤ちゃんとの生活が始まりました。赤ちゃんのお世話は想像以上に大変でした。母乳を飲んでくれているのかもよく分からないし、何度も何度も泣くし・・・。ただ、出産前の実家での一ヶ月程の生活を思えば、赤ちゃんとの病院での生活は幸せでした。私を攻撃してくる人はいませんし、三食しっかり食べられます。何より、我が子というとても可愛く、愛おしい存在とずっと一緒にいられるのです。

 

義両親と両親の来院

出産の翌日、義両親が赤ちゃんを見に来てくれました。それに合わせて私の両親も病院に来ることになりました。

 

義両親は赤ちゃんを見て、「かわいいわねー!○○さん頑張ったわね!お疲れ様。」と言葉をかけてくれました。そして、私に気を遣って「もう帰るね。」とすぐに帰ろうとしてくれました。新幹線で数時間の距離のところを、赤ちゃんを一目見るために来てくれたのです。

 

それに引き換え私の両親は、義両親と赤ちゃんの前で大声で私をけなすことしかしませんでした。出産前の一ヶ月私が実家で何もせずダラダラしていたといった話から始まり、子供の頃から何もできない人間だったということまで嬉々として話し、病室内に嫌な空気が流れました。そして母は、夫や夫の両親も抱っこしてない赤ちゃんを当たり前のように抱っこし「この子は○○(私)みたいにならなければいいけどね。」とつぶやいたのです。

 

義両親が必至でフォローしてくれましたが、その言葉が耳に入らないくらい、怒りと悔しさと悲しみを感じました。

 

 

【毒親回顧録】陣痛が起きた時の両親の対応

 陣痛

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出産予定日を2日過ぎた日の夜、陣痛らしきものを感じ始めました。痛さと不安から気が遠くなりそうでしたが、何とか病院に電話しました。陣痛の間隔などを伝えると「今から来てください」との返答。時間は夜中の3時くらいです。

 

私は、寝ている母に「病院に連れて行ってくれませんか・・・?」と痛みをこらえながら恐る恐る声をかけました。母は「何時だと思ってんの!?朝まで我慢してタクシー呼べばいいでしょ!?」と声を荒げて答えます。

 

その声で、別の部屋で寝ていた父が「うるせー!」と起きてきました。母が「この人に連れて行ってもらえばいいんじゃない!?」と父を指さして言いました。

 

驚くべき父の対応

すると、なんと父が病院まで連れて行ってくれることになったのです。痛みで力が入らず車のドアを閉められない私に「早く閉めろ!」などと悪態はついてきましたが、夜中に車を出してくれてたことに驚いてしまいました。初めて父の優しさを感じたような気がしました。

 

その後、病院で陣痛、出産を乗り越え、無事に赤ちゃんが産まれてきてくれました。

 

【毒親回顧録】出産前の日々

地獄のような日々

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出産のための里帰りが始まりました。7、8年ぶりの実家での生活はかなり居心地の悪いものでした。私は邪魔者扱いされていたので、なるべく両親の視界に入らないよう息をひそめながらひっそりと過ごしていました。

 

里帰り出産といっても身の回りのことは自分でやらなければなりません。しかし、私がキッチンや洗濯機などを使うと嫌な顔をされます。また、実家は田舎だったので徒歩で行ける距離にスーパーやコンビニはありません。出産前の大事な時期でしたが、食事は一日一食のみで体力を使わないようにとにかくじっと過ごすなんていう日もありました。

 

里帰り出産に対する後悔

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唯一の救いは、夫が仕事が休みの時に来てくれたことです。夫は私の気持ちを汲んでくれ、自分がいる間は私をずっと外に連れ出してくれました。私はそこで好きなものを好きなだけ食べ、日持ちのする食料も買いだめました。

 

夫が帰ってしまうと一気に地獄に引き戻されたような気持ちになりました。身の回りのことが十分にできず、空腹感も頻繁に感じとにかく帰りたくて仕方ない日々でした。何より、両親と同じ空間で過ごしているという事実に耐えられなくなっていました。

 

今の私なら、絶対に里帰り出産はしません。里帰り中の私は、大きなストレスを感じていましたし、十分な栄養もとれていませんでした。妊婦にとっては最悪な環境だったと思います。義母の提案を断れずにすることになった里帰り出産でしたが、体裁など気にせず里帰りをしない決断をするべきだったと反省しています。自分の身体のこともですが、もっと赤ちゃんのことを考えるべきだったと思います。

 

もちろん、普通の家庭であれば里帰りすることによってより良い環境での出産が可能になると思います。しかし、私の場合は、毒親のもとに里帰りしてもマイナスなことしかありませんでした。