子育てcafe

妊娠、出産から育児に関することまで、ママたちに役立つ情報を発信していきます。悩みや不安を抱えるママたちが、ホッと一息つけるcafeのような場所になればと思います。

【毒親回顧録】里帰り出産

義母の提案

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義両親に妊娠を報告するととても喜んでくれました。義母は「お腹さわっていい?」とニコニコしながら私の膨らみかけたお腹をさすり、私の体調のことも心配してくれました。

 

そして、「里帰りしてお母さんたちにお世話してもらいながら出産したらいいわよ。」と言ってきました。義両親は、私と両親の関係があまりよくないことを知っています。しかし、私が両親に酷いことをされてきたということは知らないのです。私が里帰りはしないかもしれないと伝えると、「それは絶対ダメ!産前産後は本当に大変だから里帰りはしないと!」と説得されました。

 

その後、義母は私の実家に「○○さん(私)のことよろしくお願いします。」と電話で里帰り出産のことを伝えてくれました。義両親が関わるとなると、私も里帰り出産をせざるを得なくなりました。それは両親も同じで、嫌々ながら私の里帰り出産を受け入れることになったのです。

 

お互い嫌々ながら始まった里帰り

母からは「本当はあんたに来てほしくないけど仕方なく了承した。子どもなんて勝手に産め。あんたの世話は最低限のことしかしないから。面倒くさくてたまらない。またあんたが家にいる生活が始まるかと思うとうんざりする。」といったような内容のメールが送られてきました。

 

里帰りの日が近づくにつれ、私はどうしても実家に行きたくないという気持ちが出てきてしまい、予定よりも数日遅れて実家に帰りました。里帰り先の病院での検診予定日前日くらいだったと思います。

 

お腹が大きくなった私を見た母は、気持ちが悪いものを見るかのような目をしていました。ここから、私にとっては地獄のような日々が始まったのです。

 

【毒親回顧録】親になる覚悟

温かい家庭への憧れ

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両親に恵まれなかった私は、子供の頃から温かい家庭に憧れを抱いていました。いつか優しい旦那さんと結婚し可愛い子供を産んで新しい幸せな家族を作りたいと思っていました。しかし年を重ねるごとに、両親に愛されてこなかった私が、自分の子供を愛することができるのかと考えるようになってしまったのです。

 

よく、「虐待は連鎖する」とも言います。私は子供を産んではいけない人間だとも思うようになりました。

 

妊娠発覚

ただやはり、心の奥底では子供を持つことを望んでいたのです。なので妊娠が発覚した時は喜びでいっぱいになりました。

 

妊娠期間中は、少しずつ大きくなっていくお腹や胎動に幸せを感じる日々でした。しかし、仕事を辞め一人の時間が増えると不安な気持ちが押し寄せてくるようになります。産んでから我が子をかわいいと思えなくなったらどうしよう、両親と同じような酷いことを子供にしてしまったらどうしよう、とネガティブな思考になってしまっていました。この時の私は、出産すると決めただけで、親になる確かな覚悟のようなものを持てていなかった気がします。

 

 

 

 

 

【毒親回顧録】親戚からの手紙

 一通の手紙

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私の結婚式後、ある人から一通の手紙が届きました。その人は、遠い親戚にあたる母と同年代の人で、実家のわりと近くに住んでいました。結婚式に招待したのですが、参列できなかったということでお詫びの手紙をわざわざ送ってくれたのです。

 

手紙にはその人が引っ越しすることも書かれていました。そして、私の母に「あんたがこの町からいなくなると思うとせいせいする。」と言われたという衝撃の内容も綴られていました。

 

手紙を読んで一気に申し訳なさと恥ずかしい気持ちが沸き上がります。母は外面が良いタイプでしたが、私を含め嫌いな人や自分に従順でない人にはとことん暴言を吐く人です。母はこれまでどれだけの人を傷つけ迷惑をかけてきたのだろうと思いました。

 

味方の存在

この手紙には続きがあります。その人は、両親から虐げられていた幼い頃の私を救えなかったことを申し訳なく思っていたようなのです。両親は人前で暴力を振るうことはありませんでしたが、親しい人の前では私のことをよく貶していました。その人は、私の反応などからも、両親と私の関係に薄々気付いていたのだそうです。

 

その人は、母からの反撃や関係が悪くなることを恐れて、私への対応を改めるように言えなかったと手紙に思いを綴っていてくれました。そのことへの謝罪と、幸せな結婚生活を送ってほしいという言葉で手紙はしめられていました。

 

当然、私にはその人を責める気持ちなどありません。むしろ、そういう風に思ってくれている人がいることをありがたく感じました。私は、親戚にも地元にも良い思い出がないのですが、味方と言えるような人が一人でもいたのだと思うと救われたような気がしました。

 

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【毒親回顧録】コロナ禍で思い出した田舎のこと

田舎の雰囲気が苦手

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毒親の話からは少しそれますが、私が18歳まで毒親と過ごした実家の話になります。


実家はかなりの田舎にありました。この写真のように、周りは家と田んぼ、畑だけ。商業施設などに行くには車がないと生活できないような場所です。

 

私は、この田舎暮らしも嫌でした。自然が多いのは良いのですが、田舎独特の閉鎖的、排他的な雰囲気が苦手でした。

 

田舎は近所付き合いが密で「寄り合い」や「子ども会」といった集まりも頻繁にあります。田舎は大らかで優しい人が多いというイメージを持たれがちですが、私の実家がある地域はそんなことはありませんでした。集まりの度に、大人たちがその場にいない人の噂話、悪口を言い合うのです。新しく引っ越してきた人なんかは、あることないこと散々言われていました。人の悪口を言い、よそ者を排除することで結束力を高めているかのようでした。

 

もちろん、私の両親程の暴言を吐く人はいません。しかし、人が集まると当然のように他人の噂話が始まるその感じにうんざりしていました。

 

コロナ禍での田舎の人たち

コロナ禍において、田舎の人たちの言動が問題視されることもあるようです。田舎に帰省してきた人たちや、感染が確認された人たちへの暴言や酷い対応などはニュースで見聞きし唖然としてしまいます。しかし、実家の地域の人たちの陰湿さを考えると、こういう田舎や地方ってやっぱり多いんだなと妙に納得してしまう部分もあるのです。

 

もちろん、田舎にも良い地域はたくさんありますし、良い人もたくさんいます。その方が多いと信じたいです。しかし、実家に限らず田舎暮らしは二度としたくないと思ってしまう自分がいます。あくまでも私個人の意見ですので、そんな陰湿な人が多い地域もあるんだな、くらいに捉えてもらえれば幸いです。

 

 

【毒親回顧録】最大の復讐

復讐のための自殺

私は小学生の頃、私が死んだら親はどう思うだろうと考えるようになりました。そして、遺書でも残して自殺すれば両親に対する最大の復讐になるのではないかと思うようになったのです。

 

自殺の方法をあれこれ考え、祖母の部屋から持ち出した剃刀を見よう見まねで手首に当ててみたこともあります。しかし、少し血が滲み出てきたところで我に返りました。私には死ぬ勇気などなかったのです。リストカットするできない私が、自ら命を絶つことなどできるわけがないと思いました。

 

田舎にある実家は、家族から自殺者が出たとなれば町中に話が広まり、何年も噂され続けるでしょう。それはそれで復讐になるかもしれません。しかしある時ふと、私の両親は私が死んでも悲しまないだろうし、自分たちが悪いとも思わないだろうということに気付いたのです。

 

両親のことは許していないけど

それから、両親への最大の復讐は、私が最高に幸せになることなのではないかという考えに至りました。両親からの暴力・暴言に屈せず、私が私の人生を幸せに生きられれば、両親も悔しく思うのではないか、自分たちがしてきたことの愚かさに気付いてくれるのではないかと思ったのです。

 

両親への復讐になったかどうかは分かりませんが、私は今、実家にいた頃とは比べものにならないくらい幸せに生きることができています。自分が幸せになったことで、両親への復讐なんて考えることもバカバカしいなと思えるようにもなりました。大切な時間をあの人たちのために無駄にしたくありません。

 

私にはいまだに両親を許す気持ちはありません。しかし、辛かった実家での日々があったからこそ、小さな幸せに喜びを感じ、「普通」の毎日をありがたく感じることができているのかもしれないとも思います。

【毒親回顧録】彼氏の反応

前回からの続きです。

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母の帰宅後

私が病院で入院している時、病室で私の彼氏に私の悪口を散々吹き込んだ母

悪口を一通り言い終えてスッキリしたのか、母は「あとはよろしく頼みますね」と彼氏に言い帰っていきました。私への言葉はありませんでした。

 

彼氏への申し訳ない気持ちが一気に沸き上がってきた私。「ごめんね、嫌な思いしたよね・・・。」と謝ると、彼氏は「うーん・・・。」と考え込んだ後、「わざわざ来てくれたたのはありがたいよね・・・。でも・・・〇〇が今まで言ってたことが分かった気がする。」と。「どこの馬の骨かも分からない人に、『あとはよろしく』なんてよく言えるね。○○が可哀そうに思えた。」とも言っていました。

 

両親は私の入院中、お見舞いにきませんでした。お医者さんに呼ばれようやく来たと思ったら、手術が決まった娘を心配するでもなく悪口を言うだけ言って帰っていった私の母親に彼氏は衝撃を受けたようでした。

 

その後

それから私は手術を受け、病気の再発もなくなり仕事も復帰できました。彼氏はしばらくは両親の話をしなくなりました。しかし、時間がたつにつれ「やっぱり、両親のことは大切にした方が良い、歩み寄った方が良い」と、また説教じみた話をしてくるようになったのです。

 

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 彼氏とはその後別れてしまいます。別れの理由はいろいろありますが、私の中では両親のことに対する価値観の違いから彼への気持ちが冷めてしまったというのが大きくありました。次に付き合う人は、両親のことを理解してくれる人にしようと思いました。

【毒親回顧録】初めての反抗

前回からの続きです。

 

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初めて言い返した

入院を繰り返し手術が決まり身も心も辛かった時に、母親の言葉でさらに気が滅入ってしまいました。

 

しかし、久しぶりに会った母は中身は変わっていないものの、少し老いて小さく見えたのです。そのことが私の気を大きくしたのか、「病人に対してそんなことしか言えないの!?もういいから帰って!」と強めな語気で言い返してしまいました。私が母に口答えしたのはこの時が人生で初めてです。もっともっと言いたいことはありましたが口に出すことはできませんでした。

 

救世主現る

母は私の初めての反抗に少しひるんだようでした。そんな時、彼氏がお見舞いに病室に来てくれたのです。母との二人きりの空間に嫌気がさしていた私には救世主のように見えました。

 

彼氏は「○○さんとお付き合いさせて頂いています□□です。」と丁寧に挨拶してくれました。私に彼氏がいると知った母は面食らった顔をしていました。

 

それから母は、初対面の彼氏に素性を根ほり葉ほり聞き出し、彼氏が一流企業に就職したことを知ると「この子なんてたいした会社でもないの病気で休んでばっかりで」と私をけなし始めました。そして、いかに私の出来が悪く苦労をかけられてきたのかを彼氏に語り始めました。

 

よくある、親が謙遜して子どものことを下げて言うような言い方ではありません。それは私の「悪口」そのものでした。彼氏も返答に困っているようでした。

 

実際には母は祖母に育児を丸投げしていたのですから、私を苦労して育ててなどいないのです。母は話を盛ってというかでっち上げて、彼氏の前で私のことをとことん貶めました。