【毒親回顧録】起立性調節障害3
「仮病」「登校拒否」
小学4年生の頃に「起立性調節障害」と診断されてから小学校6年生くらいまでは体調が悪い日が多く、なんとか自分をごまかしながら日々を過ごしていました。
症状が重い日は学校を休む時もあったのですが、欠席の連絡を母に頼むと母は決まって不機嫌になりました。
母も父も、私のことを「仮病だ」「甘えだ」と散々罵りました。母には「登校拒否とか恥ずかしいからやめて!」と何度も言われました。父は、熱を測っている私の脇から体温計を奪い取り、「37.5℃」の文字を見て「これくらいの熱で騒ぐな!」と頭を叩いてきました。
両親は、私のことを理解しようなどとはこれっぽっちも考えていなかったと思います。ただでさえ煩わしい存在だった私が、身体も弱いということが発覚し更に邪魔に感じるようになっていたようです。
学校にいる方が楽
そんな状況だったので、私は体調が悪くても無理をして学校に行くようになりました。学校には、体調不良を訴えても私を罵倒する人はいません。保健室という安心して休める場所もありました。
身体は辛くても学校にいる方が精神的にはとても楽でした。担任の先生や保健室の先生には迷惑をかけてしまいましたが、心身共に支えてもらえていたことに今でも感謝しています。
原因
当時は起立性調節障害の原因について考えることはなかったのですが、大人になってからネットなどで調べてみると、起立性調節障害はストレスや精神的なものも発症の原因になるようです。
小学生の頃の私にとって、ストレスと言えば両親のこと以外にありませんでした。もちろん、両親とのことが起立性調節障害を引き起こしたかどうかは分からないのですが、大きな要因になっていたのではないのかと私自身は考えています。