【毒親回顧録】虐待を意識した瞬間
虐待されていたという事実
高校生の時、家庭科だったと思うのですが、「虐待」についてのビデオを見るという授業がありました。幼い女の子が虐待を受け身も心も傷ついていくというような内容だったのですが、私は話が進むにつれ心臓がバクバクし全身から力が抜けていくような感覚に襲われました。
ビデオの中の女の子は、幼い頃の私そのものでした。暴力を振るわれ、暴言を吐かれ虐げられているその姿が自分と重なり、途中から見ることができなくなってしまいました。
授業の最後に感想を書いたのですが、「虐待」という言葉を書いた時に手が震えました。「あぁ、そうか。私は虐待されていたんだ。」と初めてはっきり認識した瞬間でした。
虐待を認めたくなかった
それまでも、自分の親がおかしいことも、自分が置かれていた環境も頭では理解してきたつもりでした。ただ、自分は可哀想な人間ではない、「普通」なんだと思い込もうとしていたのだと思います。もちろん「虐待」という言葉も知っていましたが、虐待されているとは認めたくない自分がいました。
高校生でようやく「虐待」という言葉を意識するようになったわけですが、その当時の私にはあと少しで実家を出られるということが希望の光のようになっていました。「虐待」から解放されれば自由で幸せな日々が待っている、そう思っていました。